14年めのありがとう。
きょう9/21は、わたしがシンガーソングライター長谷川 都として
初めてCDを世に送り出した最初の日から、ちょうど14年が経った日でした。
2000年の9/21。わたし22歳。
15歳のころからずっと志していたメジャーデビューという日。
デビュー曲「ミルク」にちなんで、マネージャさんがどこで調達してくれたのか
牛の着ぐるみを着たりして、あちこちキャンペーンに回ったり
憧れだったラジオ番組、J-WAVE GROOVE LINEに生出演して
ピストン西沢さんと秀島文香さんにいじってもらったり(確かパンツの色を聞かれた!)
とにかく強烈な思い出のいっぱいある日。
事務所に所属となって音楽がある日突然職業になってから3年後のデビュー。
歌を生業にして、ざっと17年もの月日が流れました。
ほーーーー。
いろいろありすぎてもう、語り尽くせない思いですが、
なにしろ今日もこうして、音楽にまみれた暮らしをしていることが
なによりも幸せなことと感じています。
もうやめるーー!
なんども投げ出しそうになって(いやほんとに投げ出したりしたり。)
でも気がつくといつもまたもとの場所に戻っていて。
いつのころからか、やめるとかやめないとか
やるとかやらないとか、そういうものではなくなっていました。
わたしの師匠でもある夫は
音楽をすることは、息をしているのと同じ感じなのだとか。
だから生きている限り
「しなくちゃいけないこと」
のようです。
じょじょにわたしも
そのような域に足を踏み入れようとしている感覚。
そんなわたしの2014年9月21日は。
いつものように家事、育児。
自宅スクールにて7つのレッスンの合間にご依頼を受けている曲を書き、
きょうまでの音楽人生を振り返る日となりました。
そして我が家のおとなは、ふと枕を新調し、
とっておきのビールでおうちでささやかに乾杯。
いつのまにか増えたちいさな家族たちのやすらかな寝顔のとなりで、
つれづれを綴る夜です。
時は流れ、また続いてゆくのですね。
これまでのすべて、一粒のこらず全部の出来事、
出逢った人々に、ありがとうの気もちでいっぱい。
アーティスト活動からは母になってここ数年、すこし距離を持ってみています。
ですがわたしの中の音楽は、この期間にびっくりするくらいに育っていると感じます。
作品作りや歌のこと。
うんとうんと大きく愛せるようになりました。
もっともっと深く、気もちよく、時に残酷で意地悪な音楽の場所を知りました。
歌が上手にうたえるようになりました。
ピアノもちょっとだけ思い通りに弾けるようになりました。(ここ数年ようやく…。)
まだまだ、ここからだと思っています。
こころから敬愛している陣内大蔵さんに、もう何年もまえに
ながくながく音楽を続ける秘訣をお聞きしました。
「しぶとい性格で、好きだったら、続くよきっと!」
そのおことばは毎日胸に響いています。
わたしもけっこうしぶとくって、好きだな、音楽!
十年以上前のつれづれにこんなようなことを書いたのを思い出しました。
ときにくるしめられ
ときにかなしまされ
いつもいつもゆさぶられ
それでも
わたしを救ってくれたのはいつだって音楽でした
と。
かわってないなあ。ちっとも。
これからもいつもそばにいてほしい。
目には見えないけれど
わたしの人生の大切な相棒。
音楽に、歌に、ありがとう。
そして
いつも応援してくださるみなさまに
ありがとう。
毎日のようにライヴしていた頃から
いまは首を長くして、でも気長に待っていてくださる
やさしいみんな。
ほんとうに、ありがとう。
そんな日々のなか
家族の協力のもと
ふと、ライヴをしてみようと、また思いました。
ことしの終わりの頃。
12/21に。
ずっとずっとお誘いいただいていたのに
もう何年ぶりかわからないほどお久しぶりになってしまった
江古田マーキーにて。
http://hasegawamiyako.com/live/
この日はわたし個人にとって
一生忘れられない日でもあります。
とってもいい歌をおとどけします。
ぜひ、逢いにいらしてください。
きょうからまた15年めへと
一歩一歩。
わたしだけの足跡をのこせるよう
日々精進します。
毎日が、これまで生きてきたなかで
いちばん幸せ!
と感じ続けたいですね。
みなさまの毎日が
笑顔の光に包まれた
美しい世界でありますように。
ごきげんよう!