深呼吸の必要
人は誰しも、深呼吸が必要な時があるみたい。
わたしにとっては、きっと、今。
昨日はカーで20分ほどのところにある、小淵沢のリゾナーレへ。
大好きなbook&cafeでゆっくりお茶をしつつ、本を広げ。
向かい側にあるキッズ&ベビーのプレイルームには、木の手作りすべり台やおもちゃがたくさん。
夫と代わりばんこで娘と遊んだり、それぞれが本を読んだり、三人ではしゃいだりの午後。
清里へ来てからの毎日は、さらにシンプル。
毎朝パンを焼き、採れたての野菜をもりもりいただく。
着るものも持ち物も必要最低限。
一日中、ヒグラシや鳥たちの鳴き声、小川のせせらぎ、森の木々が揺れる音に包まれて
エアコンの要らない自然の中に身をゆだねる時間。
これまでに味わったどんな豪華な気分よりも、贅沢な気持ち。
実は最近、悲しいことがありました。
昔の自分なら、取り乱していたかもしれないなあ。
でも。
家族が力強く支えてくれたおかげで
ゆっくり乗り越えて、こころのなかにそっとしまうことができそうです。
不思議なことに、そう思えるようになった昨日の深夜、
からだの中から湧き出すように、いえ溢れ出すように音楽が鳴り響いてきて、
急いで、急いでピアノに向かって旋律を歌っているわたしがいました。
殴り書きでノートに綴った言葉と音符は、美しく流れる涙のようで。
気がつくとわたしも泣いていました。
こんな体験は久しぶり。
穏やかで、優しい時間が愛おしく、そんな日々がずっと続けばいいと願っていた最近では
もう忘れかけていた感情が、音楽になって勝手に自分から飛び出してきたのでした。
悲しみにひりひりと胸がしみて、どうしてもどうにもならないことがある。
それを自分なりに消化したとたんの出来事。
10数年も前にある方に言われ、ずっと心に残っている言葉があります。
「これから起こるどんなこともひとつ残らず、自分の芸の肥やしにして生きなさい」
その言葉に当時はものすごい嫌悪感を抱いていました。
でも今のわたしは。
全てが自分の音楽への栄養になっていると、身をもって感じずにはいられません。
芸の肥やしだなんて、えげつない、下品な言葉だと思う。
でも、そうして生きて行くしか、ないみたい。
身を削って、心を削って生まれる音楽はもうしたくない、軽やかにしなやかに、
楽しく演奏し続けられればいいと、そう思っていたのに。
やっぱり、わたしはいやになるほど自分と音楽に向き合って
そうして紡いで歌うんだと
また、思い知らされてしまった。
でもそれは、とても良いことだって、感じました。
いつか笑って話せるようになったら、こんなわたしのちいさな身の上話でも
聞いてくださいな。
さあ、今夜からまた東京です。
深呼吸をしたら、また前を見て。
明日の笑顔に向かって、歩き出すことにします。
良き夏を!