朝の空
これはリビングの大きな窓から見えた早朝の空。
今日も寒いけどとてもいい朝ですね。
起き抜けに熱いほうじ茶を飲みながらしばらくぼーっと空を眺めるのが習慣になっています。
生まれてこのかた、ぼーっとする、なんて一体全体、どうやってするんでしょうかと思っていましたが、最近はなんとなくできるようになってきた気がします。
言葉にするのも変だけど。
最近はいろいろ心境の変化がありました。
日に日にお餅のように膨らんでくるおなかと向き合いながら
昔のこと、今のこと、未来のことを思います。
物心つく頃からストイックな性格で、あれもこれも上手にできるようになりたいと、
いつでも思ってきたし
あの人にもその人にも気に入ってもらいたいと
すごく欲張りだったし
いつでも100パーセントの力を全ての人や物に注がないと
自分が怠けているような気がして許せないでいました。
他の誰かより優れていたいと言うよりは、
常に自分自身と闘い抜いてきた感じで。
昨日より今日、さっきより今の自分が
ほんの1ミリでも前進していて
たとえわずかでも成長していなくちゃいけない、という風に。
だから毎日いくつもの決め事があって、ぱりっとした緊張感を自分に課してきました。
それはすごく良い事だったと思います。
けれど今朝、この空を眺めながらふと思ったことがあって。
”もっと、自然の流れに身をゆだねてみようかしら。”
今見えている厚いふわふわの雲は、やがて形を変えたり姿を消したり
朝は雲ひとつなかったのに午後になるといっぱい現れていたりするんです。
この世に何ひとつ、変わらないことや
こうでなくちゃいけないことなんてないんだろうなあ。
丸いスイカを小さい時から四角い箱に入れて育てると四角いスイカになるみたいに
わたしは理想的な形とサイズの箱を勝手に一生懸命作って
そこにぴったりはまるように育とうとしていた気がするのです。
本当はもっともっと大きくって自由な形の、むしろ形なんてもはや見えないくらい無限に広がった、宇宙サイズの箱があらかじめ用意されているかもしれないのに。
そんなことを思ったらなにやらものすごくもったいないような気がしてきて。
いろんなこと、自分で決めなくってもいいかもと思ったのです。
あせったりもがいたり、そわそわなんてしなくても
自然な成り行きで、知らないうちに開けてくる道のりを丁寧に歩む
もしやその方がいいんじゃ、と思いはじめました。
今ハマっている西郷さんも言ってました。
何度も島流しにされて様々な苦境に遭っても
早く自分の持ち場に戻りたいといらいらする事も無く
”静かにその時を、天命を待つのみ”と。
ほほー。すごい。
つまりどっしり構えていればいいのか。
ただ一日一日をその時にできる限り大事に。
なんてシンプルな過ごし方。
頭ではようく解っていたはずなのに
今それが体で解る気がします。
心静かな日々は
とてもとても大切なことを教えてくれています。
穏やかながらわたしのなかでいろいろなことが
素敵に変化しようとしています。
では二度寝します(笑)!
良き一日を。